お掃除というと、やらなくちゃいけないものの「面倒で、いつも気が重くて……」「なかなか好きになれないなぁ」という方、結構いらっしゃるのでは?
今回は清掃のカリスマ、新津春子さんにお話をうかがいました。新津さんが働く羽田空港は4年連続、今年も世界一「清潔な空港」に選ばれています(注)。
(注)英国のSKYTRAX社が実施する2019年国際空港評価において、空港の清潔さなどを評価する「World’s Cleanest Airports」部門で、羽田空港は4年連続6回目の世界第1位。
新津さんは羽田空港の清掃歴25年! 清掃の仕事は重労働のイメージがありますが、新津さんの表情はいつも笑顔。楽しそうに、たくさんのスタッフたちとともに、世界一の美観を支え続けています。
新津さんはどのように清掃の仕事に取り組んでいるのか、その極意や楽しむ秘訣などを話してもらいました。
「私は透明な人間、誰にも気づいてもらえなくてもいい」
早速ですが、新津さんが清掃のお仕事を始めるようになったきっかけから聞かせていただけますか?
私は残留孤児の二世として中国の瀋陽(しんよう)で生まれました。
高校生の時に一家で日本へ戻ってきたんです。
戻ってきたのはいいけれど、持ってきたお金はすぐになくなってしまって…
家族の中で誰も日本語が話せなくて、言葉が通じなくてもできる仕事が清掃だったんですね。それで、家族みんなで清掃の仕事を始めたんです。
一番はじめは、定期清掃のモップがけでした。
モップがけは、定期清掃の中で一番重労働なんですよ。モップがすぐ汚れるので、頻繁に洗いに行かないといけない。洗う場所が遠い時は走らないと清掃が時間内に終わらない(笑)。
そのほか、ゴミ回収をしたり、夜中に掃除機がけをしたり、日常清掃の仕事もしました。当時は高校に通いながら、清掃のアルバイトを3つくらいかけもちしていました。
それは大変でしたね。
それが楽しかったんです!
毎日働いていましたが、病気もせずに元気でしたよ。
その頃は、働けばお給料がこれだけもらえて、お給料でごはんが食べられる、欲しいものが買えるという単純な考えで。今日より明日、明日よりもあさってというふうに、生活がよりよくなっていると感じていたので大変だとは思いませんでしたね。
ただ、汚れをきれいに落としても、誰かが「ありがとう」と言ってくれるわけでもない。
なかには、清掃をしている目の前にゴミを投げ捨てて通り過ぎていく方もいます。当時は「私は透明な人間で、誰にも気づいてもらえなくてもいい」のだと、自分に言い聞かせながら働いていましたね。
「私の頭ではこれ以上覚えられない、もう限界!」
東京都立城南職業能力開発センターの先生にすすめられたことが、働き始めたきっかけになります。
職業訓練校に通っていたのはなぜですか?聞かせてください。
空港に就職するまでに十数社の清掃会社でアルバイトをしていたんですね。
そこでびっくり!
会社によって清掃の方法がみんな違うんですよ!
一つのトイレを清掃するにも、使う道具も洗剤もバラバラで手順も違う。
「私の頭ではこれ以上覚えられない、もう限界!」
と思って、きちんと清掃について理論的なことを学ぼうと職業訓練校に通い始めました。職業訓練校では、洗剤や材質の種類、機械の操作の仕方などを教わりました。
学んではじめて、タオルで拭く作業一つにも、基本があることを知ったんですね。すべての作業には「なぜそうするのか」という理由があったんです。
学んだことと自分が今まで経験したことを振り返って、自分なりのルールを作り上げることができました。
羽田空港で働くようになったのは作業の基礎を学んでから?
卒業が近づき就職先を考える時、指導担当の先生に「今までにやってきたことをやるのでなく、もっと先を勉強したい」と伝えました。
そうしたら「それなら鈴木先生に頼んで、空港で働いたら?」と言ってくれて……。
その鈴木先生というのが、今勤めている日本空港テクノ株式会社の常務だった鈴木優さんです。
羽田空港での清掃のお仕事はご紹介だったんですね。
羽田空港で働くことに関してはどのように思っていましたか?
空港と聞いて、中国から日本に来た時に見た、成田国際空港のイメージが浮かんだんですね。
当時は日本と中国の生活レベルは50年ぐらい差がありました。空港で見るものすべて、たとえば、洋服の色、並んでる食べ物など、中国にないものばかり。全部欲しい、全部食べたいと思ったんです。
それで「空港、行きます!」と即答して。採用試験を受けさせてもらい羽田空港で働き始めました。
空港の清掃の仕事をしながら、会社に要望を出して研修に行かせてもらったり、鈴木常務に教わりながら、先輩たちと一緒にビルクリーニング技能士という国家資格を取得したり。
鈴木常務は私のやりたいことに対して全力で支援してくれました。
常務に質問すると、常務がアメリカで学んだ時に書いた写真付きのレポートを渡してくれて、「資料はいくらでもあるから勉強しなさい」と言ってくれたり。
恩師からの「あなたにはやさしさが足りない」の言葉
本当にそう!鈴木常務は私にとって恩人です!
2012年に他界されましたが、常務からは清掃の技術の面だけでなく、考え方も学びました。
それを具体的に教えていただけますか?
入社後に常務のすすめで、全国ビルクリーニング技能競技会に出たんです。
練習して臨んだ東京予選大会の大会結果は2位でした。
100%の自信があったのに1位になれなかった…
常務に「教わった通りにやったのに1位になれなかったのはなぜ?」と聞いたら、「あなたにはやさしさが足りない」と言われました。
競技は一人作業で、相手にするものは道具や床です。
みんな心がないものなのに、やさしさってどういうことなのか全然わからなくて……。
さらに常務に尋ねたら、こう言われました。
「この大会は誰が見てるの?見てる人に、どう自分を見せたいの?清掃するテーブルやイス、清掃に使う機械や道具を使っている時の気持ち、使った後の気持ちは?この作業が終わった後、自分はどんな気持ちなの?」と。
私は「そんなこと考えてないよ! そんな必要があるの?」とわからないまま。
とにかく常務にやってみせてもらって、顔の表情や動きを真似して練習しました。
そうしたら2か月後の全国大会で1位が取れたんです。
確かに1位はとれました。
でも、まだ自分のものにしていないと思いました。
どうしたらいいのか考え、もう一度、お客様を見ることからはじめました。
お客様を見ながら、常務に説明してもらったことの一つひとつを振り返ってみてわかったのです。
「ああ、お客様はこういう動きをされて、こうして座っているんだな、こうやってものを触っているんだな。それなら、ここを入念に拭けばいいんだな」と。
お客様が答えをくれるんですね。
そうやってあらためて、常務から学んだことを仕事に活かしていったんです。
清掃は「思う心」で成り立つ
絶対にそうだと思います。
テクニックも必要ですが、マインドがないと、清掃は成り立ちません。
たとえばテーブルを拭く場合も、バーッと拭いて「終わりました」というだけでは、ちゃんとやったかどうか自分自身もよく見ていない。
もし拭き残しのあったテーブルが人だったら、「まだここ拭いてくれてないよ、ここ汚いよ、拭いて!」と言ってくれますが、そうでないぶん、自分が気持ちを込めないと気づけない。
気持ちを込めることで、拭いた後「ほんとにきれいになったかな?」と確認する動作が生まれるんです。それがマインド。
常務から教わって、本当にそれは必要だなと思っています。
私の場合、清掃の仕事は生活のために始めました。
クリアできたものを自分で評価していくことで、一つひとつやり遂げて、ここまでこられたように感じます。
ほかの仕事でもそうだと思いますが、何かをやるという時には、自分を評価する必要があると思います。
好きで始めた仕事ではなくても、とりあえず毎日職場に行って働いているうちに、嫌でもなにか覚えるでしょう?
そこで覚えたことを、自分で評価することが大事。
人は、何か評価をする時に、次のステップに行けるものだと思うんです。
そこに楽しさがあって、それをやり続けていくことで、楽しさもずっと続いていく。
時代が変化するなかで、新しいものを採り入れながら挑戦して楽しんでいく。そういうことが大切だと思います。
昨年の8月に、ハウスクリーニング事業をスタートしました。
清掃する場所が違っても、基礎となる知識や技術は共通するところが多いんです。
また空港の場合は、お客様がこちらへ来てくださっているわけですが、私たちがそのお客様の家に行くことで、違うことに気づけるのではないかと考えています。
空港の清掃をしながらハウスクリーニングもすることで、もっとお客様に近づける。お客様のことがよく見えてくるのでは?と。 そう思って、会社に提案しました。
この挑戦は始まったばかり、まだまだこれからです!
今後の目標はなにかありますか?
生きている間はできる限り、自分の持っているものを全部、いろんな方に教えていきたいです。
講演に呼んでもらった先で質問を受けたり、ハウスクリーニングのお客様とお話ししたりするなかで、清掃で悩んでいる方が多いんだなと実感しています。
コツさえわかれば、楽に覚えてできるようになれますし、そうやって清掃のことを知ってもらって、この仕事に興味をもってもらえたらうれしいですね。
清掃は楽しいですよ。
健康にもなりますし!
新津春子 新刊紹介
清潔な暮らしは一枚のタオルからはじまる
「においまで、きれいに。なにかひとつ、きれいにすると、気持ちが晴れ晴れします。『毎日、何かひとつ』でよいのです」。
羽田空港を4年連続6回目の「清潔さ世界一」に導いた新津春子さんが、清掃歴32年の技を惜しみなく伝授。
イラストによる「絵解き」解説付きで、プロの技術をご家庭にお届け。
「NHKプロフェショナル」出演回は最高視聴率獲得、お人柄も話題になった新津さんの真心がこもった一冊です。
新津春子プロフィール
略歴
1970年 中国・瀋陽に生まれる
1987年 来日・清掃の仕事を始める
1995年 日本空港テクノ株式会社入社
1997年 全国ビルクリーニング技能競技会で最年少優勝
2015年 「NHKプロフェッショナル 仕事の流儀」出演
2016年 「世界一受けたい授業」出演、「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」出演
大橋博之
インタビューライター・編集者・ディレクター。インタビュー専門で執筆。専門はwebメディア、未来、テクノロジー、ビジネス、カルチャー、クールジャパン界隈。最近は事例とか採用関係も。書籍『Webライター入門』監修。 趣味は散歩・人物撮影。モデルはいつも募集中。ただしヘタ。
ブログ:GARAMON
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黒須しのぶ
業界誌を中心に、編集やライティングを行なっています。一人ひとりの方から、じっくりとお話を聞き、じっくりと書くのが大好きです。北関東の陸地出身ですが、輪島の海に惹かれます。